東大駒場キャンパス周辺・渋谷WESTの地域情報を紹介


by mtejima1
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

カテゴリ:神泉・円山町・松涛( 147 )

松涛の都知事公館が売却されることになっていたが、渋谷経済新聞によると売却先を大使館限定とするそうだ。しかも売却後5年間は都の承認なしに建物の貸付や転売、解体は行わないことが条件という。
建物の解体を安易にしないという傾向が、少なくとも公共施設では見られるようになりだした。新宿ゴールデン街の側にある小学校も建物はそのままにして吉本興業が使っている。建物を壊せば廃棄物が大量に発生するし、資源を大切にする意味からも建物はできるだけ残すほうがよい。
土地の有効利用という立場からは異論もあるのだろう。土地の有効活用だけを考えれば、景観などにかまってはいられない。それで高層ビルが場所をかまわず建てられるようになっていた。渋谷駅に近いとことにある渋谷区民農園というのも無駄との意見も聞かれるほどだ。
しかし、最近は富ヶ谷交差点の場所での計画見直しのように、土地の有効活用を金銭価値だけで考える発想からの転換が求められるようになってきたようだ。環境や景観など、さまざまな側面がようやく考慮されはじめたのではないだろうか。
b0013376_13215375.jpg

[PR]
by mtejima1 | 2008-08-26 13:21 | 神泉・円山町・松涛
平成4年から平成19年までの15年間の人口の推移が、渋谷区だと町ごとに見ることができる。円山町の場合、平成4年に1440人だったのが、平成9年に1260人にまで減少し、そこから反転して平成19年には1834人にまでになった。10年間で50%近くの人口増があったわけだ。隣の神泉町も平成4年に1552人だったのが、平成10年まで減少を続け、その年の1324人を底に平成18年には1899人と、これも8年間で40%以上の増加をした。今年の7月末時点での数字は、円山町が1828人、神泉町で1892人と横ばいだが、今後の5年間は大きなマンションが建つような気配がなく、共に1900人を上回る程度の人口となりそうだ。
一方で、10年以上ここに住んでいる人の割合はかなり少ないのではないか。1戸建て住宅の少ないことやワンルームマンションの多いことから円山町で300人、神泉町で500人程度が10年以上の住民なのだろうかと乱暴に推測する。親の代から住んでいる人たちも少数ながらいるわけで、短期在住の人たちとの意識の差は無視しがたいものもあるだろう。
[PR]
by mtejima1 | 2008-08-19 17:23 | 神泉・円山町・松涛
作家の大岡昇平(1909-1988年)は少年期の大正時代を渋谷で過ごした。その詳細な記録が『幼年』と『少年』の2つの作品として残されている。百軒店と松涛についての記述で土地の記録となることを箇条書きにしてみる。

○現在の文化村通りと栄通りは、駒場通りないしは農大通りと呼ばれていた。当時の駒場キャンパスは大正6年まで帝国大学農科大学であったことから農大と呼ばれていたのだろう。
○109の裏にあたる現在の道玄坂小路は御水横丁と呼ばれていた。御水講がその崖の上にあったからという。しょんべん横丁とも呼ばれていたそうで、少年時代の作家もそこでの習慣としてやっていたと書いている。
○百軒店は中川伯爵の邸宅だった。
○円山町の高台は荒木山と呼ばれていた。花街があり、子供はいってはいけないところだった。陸軍の軍人が業者の接待を受けていた。
○現在の東急本店の場所に大向小学校があり、その裏一帯は田んぼだった。
○現在の神泉駅のところに弘法湯という鉱泉があった。江戸時代には火葬場があったといわれている。
○現在の松涛中学とその周辺は鍋島邸で、松涛公園の横は鍋島農場と呼ばれていた。
○松涛公園の横の現在消防署のあるところには巡査合宿所があった。
○大岡昇平が住んでいた家は栄通りの現在拡幅を終えたところの角にあった。
○神泉には農科大学の学生の下宿屋があった。渋谷駅から通う学生はいなかった。
○大学の正門は現在の裏門の場所にあり、その前を三田用水が流れていた。
○松涛2丁目交差点から東大のキャンパス沿いを通る道路はあったが、現在の山手通りのにあたる道路はなく、キャンパスへ直進する道とで三叉路となっていた。そこには交番があった。

松涛に移る前は現在のセンター街に住んでいたのだが、そのあたりの記述には今や面影すらない。一方、現在の栄通り沿道の描写は、円山町の高台などそのころの光景が目に浮かぶようだ。
[PR]
by mtejima1 | 2008-08-01 10:14 | 神泉・円山町・松涛

芸者募集(7月28日)

円山町の崖下の掲示板に芸者募集の案内が出ている。募集しているのは芸者さん。芸者文化を絶やさないようにとの趣旨だ。その昔、宴会には芸者がつきものだったのかも知れないが、だんだん高級になり、今では限られた人しか知らない世界となっている。
利用する人が減ると仕事がなくなり、芸そのものが消えていく。いってみればライブショーを少人数のお客を相手にするわけだから高くつくのは仕方ない。そこをどうクリアして存続ができるかが知恵の出しどころなのだろう。東京では今では向島が一番芸者さんの数が多いようだが、伝統ある円山町の芸者さんが生き残れるかどうか、この募集にかかっているのかも知れない。
b0013376_18522468.jpg

[PR]
by mtejima1 | 2008-07-28 18:52 | 神泉・円山町・松涛
ラブホテルと風俗店の街、という言葉を、マスメディアは百軒店と円山町に対しておそらく無意識のうちに使っている。一般の人たちもそのイメージをもって疑わない。しかし、そこに住んでいる人や、飲食店を含む一般の事業をしている人たちには、そういう表現をされることで風評被害といってもよいものを受けている。そのことを心配したり同情したりする人はいない。
百軒店にしろ円山町にしろ、普通の町会があり、どこの町会とも変わらない地域社会がある。住民だってちゃんといる。マスメディアの視点では普通の街として紹介したのでは意味がないだろうから、その特徴を強調する。それでも、円山町を風俗の街というのは不正確だ。ラブホテルも風俗にはいるといわれれば仕方ないが、それ以外の俗に風俗店と呼ばれる店はない。
百軒店と円山町は区別しにくいかも知れないが、ランブリングストリートを挟んで丘の上正方形のエリアで、小さな店の並ぶのが百軒店。ラブホテルと飲食店、そして集合住宅が混在するのが円山町だ。百軒店は特に風評被害を受けているそうだ。飲食店に入るのが怖いとの声もある。実はいい店が多いのにもったいない。
そんな円山町の百軒店に一番近いところにある建物が農場協会会館。全国高等学校農場協会と財団法人全国学校農場協会の事務所がある。財団法人は農業教育に関する調査・研究、農業実験実習講習会などをやっていて、農業系の学校の校長などが理事を務めている。東大農学部が駒場にあった頃に渋谷駅との中間にあたる円山町に事務所を構えたのだろう。今から75年以上も昔からこの地にあったはずだ。
この機関の場合は周囲がどうなろうが移転する必要はないのだが、通常の営業をしている店などだと、周囲がラブホテルになれば影響が出てしまう。こうして街はこの20年で変わっていった。
しかしどういう街にしたらよいかを決めるのは誰だろう。少なくとも最近は行政が住民の意思を尊重するようになってきている。ここだと百軒店商店会・町会、円山町会の意思が問われる。その意思は住民の生活や商売を豊かにするものであることには異論がないだろう。マスメディアによる風評被害などというものがあっては困るのだ。
b0013376_18325834.jpg

[PR]
by mtejima1 | 2008-07-10 18:30 | 神泉・円山町・松涛
旧山手通りに面したダイハツの販売店が改築のため閉鎖された。広い敷地に2階建ての部分と1階だけの部分のある古い建物で、いずれ建て直すとものと見ていたのだが、いよいよ解体工事が始まる。新しい建物の完成がいつになるかは明らかではないが、平成22年の大橋ジャンクション開通のタイミングに合わせるのか。
246の向こう側の華やかな雰囲気のある旧山手通りとはうって変わり、このあたりは建物が高層で人通りも少ない。その中でも間口が広く2階建てのダイハツの販売店は工場のような雰囲気でもあった。
246の交差点にはこのあたりのランドマークともなる地上22階のオフィスビルが平成23年の春に完成する。中央環状新宿線の富ヶ谷出入り口から大橋ジャンクション、旧山手通りにかけて再開発が進みそうだ。
b0013376_18272823.jpg

[PR]
by mtejima1 | 2008-07-08 18:37 | 神泉・円山町・松涛
円山町はかつて料亭の街だった。今やその名残はわずかだが、それでも史跡ともいえそうな場所がいくつかある。写真の「料亭宮よし」と書かれた石は何を意味しているのか。何故ここに残されているのか。考えて見ると興味深い。
b0013376_1401817.jpg

東京はいつも工事現場で、街の歴史には無関心になっている。土地が不動産になってしまい、その取引金額だけに関心がもたれているような中で、その土地の記憶を残していくことは無駄ではない。不動産となった土地は、有効活用が優先されて味気のないコンクリートジャングルにならざるを得ない。作られたコンクリートジャングルを変えることはできないが、それを与えられたものとして、魅力ある場所を作ることならできないことはない。街は不動産屋や建築家が作るものではない。一人一人の住民が作るものだと考えると、地域社会もよみがえるだろう。その一歩は近所の街をよく知ることにありそうだ。
b0013376_1404329.jpg

[PR]
by mtejima1 | 2008-07-04 14:00 | 神泉・円山町・松涛
マークシティを出て道玄坂上交番の交差点を渡ったところにあるバス停のすぐそばに、菊地伸治作の「地平線の断片」という作品がある。6年間歩いていても気が付かなかったほどだから、知る人は限られるのではないか。
ホームページを見ると、こうした彫刻が都庁舎には38点あって、その中に「地平線の断片No2」というのをみつけた。渋谷道玄坂公式サイトでは、この道玄坂の通りの反対側に細野稔人作「To where?」、百軒店商店街の入り口に渡辺隆根作「矩の構造」、PRIMEのそばに丸山映作「肖像」の他、渋谷駅前スクランブル交差点まで7点もの彫刻が置かれていることが分かる。
どういう経緯で道玄坂にこういう彫刻があるのかわからないが、せっかく誰もが見ることのできる場所に作品があるのだから、もう少し解説があってもよいような気がする。芸術作品を講釈なしで評価のできる人はあまりいないだろうから、素人への配慮がほしい。せめて渋谷WESTのサイトででも紹介できるようにしたいものだ。とはいえ、道玄坂上の2点だけについてだけど。
b0013376_21511953.jpg

[PR]
by mtejima1 | 2008-05-13 21:51 | 神泉・円山町・松涛
ランブリングストリートの百軒店側は、周囲をラブホテルが囲んでいるという環境にある。一方の円山町側は、ラブホテルがいたるところにあるというとよいのか。百軒店商店会の入り口にあるアーチのようなものは円山町にはない。しかし、通りくいと思われる入り口は何ヶ所かある。道玄坂上に新しくできたデュープレックスタワーの横から入る道もその一つだ。写真のような原色のホテルがあると、進入禁止の合図のようにも見える。人通りが多いとお客さんが入りにくいだろうからとの配慮からだろうか。ここを通るとホテルの利用者と思われないか、と心配する人もいることだろう。
b0013376_13455845.jpg

[PR]
by mtejima1 | 2008-04-24 13:46 | 神泉・円山町・松涛
今やなんたって、
神は路上に宿りたもう
である。そこでもう少し具体的に言うと、時代の旗は、
紙上 → 路上
鑑賞 → 観察
大人の芸術 → 子供の科学
空間 → 物件
という向きにハタめいている次第だから、どうしてこんな羽目になってしまたったのかルル語りたい。
これは21年前の1986年に出版された『路上観察学入門』にある、藤森照信東大生産技術研究所教授の一文である。時代の旗がそんな方向にハタめいたといえるかどうかは知らない。バードウォッチングなんかと較べると、路上観察はそれほどメジャーな趣味にはなっていないようだ。
それでも渋谷WESTを観察しているといろいろな発見があって楽しい。写真は神泉仲通りから道玄坂方面に向かう階段。幅が不規則なのは何故だろう、と子供の科学の心で路上物件を観察する。神様が休憩していそうな階段だ。こんな物件が周囲にたくさんありそうな気もする。
b0013376_14305148.jpg

藤森教授の研究室では上原小学校の生徒と共に、そんな路上観察を実施している。5月の駒場リサーチキャンパス公開時に「第4回ぼくらはまちの探検隊2008」として最近の研究成果が発表される予定だ。上原小学校の生徒たちの視点がどんなものか、楽しみにしている。
[PR]
by mtejima1 | 2008-04-21 14:30 | 神泉・円山町・松涛