東大駒場キャンパス周辺・渋谷WESTの地域情報を紹介


by mtejima1
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渋谷の200年-2(7月16日)

1986年からの40年は明治19年から大正の終りまでだ。陸軍の騎兵実施学校、近衛輜重兵営、騎兵第一連隊営が淡島通りの南側すなわち、享保年間から御用屋敷であったところに設置さていった。明治24年からだ。どれだけの人数がそこにいたのかは分からないが、渋谷近辺ではこの陸軍施設の人口密度が特に高かったことは想像できる。施設への訪問者をあてにした店も淡島通り沿いにできたようだ。
更に明治30年には池尻方面に広大な駒沢練兵場ができ、このあたり一帯が陸軍の一大拠点となったのである。

駒場農学校は明治19年に東京農林学校となり、明治23年に東京帝国大学農科大学となった。陸軍と東大のまち駒場が誕生したのだ。
現在の渋目陸橋の下にあった東大の正門まで、青山通りから分かれた馬車道が栄通りとなったのだろう。この道は松涛茶園への道でもあったが、明治23年以降は東海道線の開通により静岡から茶が運ばれるようになると、次第に茶の生産が減っていった。

明治40年には玉電が開通し、渋谷駅と世田谷方面が鉄道で結ばれた。
池尻、駒場の軍人が円山花街で遊ぶようになり、それに呼応して道玄坂に飲食店や商店が並ぶようになった。円山花街は大正12年の関東大震災の直前には芸妓数420名の規模になっていた。こうして駒場方面の軍関係の需要に対応する形で渋谷の街の発展がはじまったのだ。
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by mtejima1 | 2006-07-16 20:22 | 神泉・円山町・松涛