国民から住民へ(10月3日)
2004年 10月 03日
また、封建社会をそのまま残す地域社会から開放されることが、教育を受けた人の自然な欲求となった。
敗戦から復興、高度成長の時代も、国の産業政策に従いながら、企業は発展し、全国に工場をつくり、求人は全国民に対して行われた。中央集権国家としての日本は、こうして明治維新から今日まで続いたきた。
地方の時代、といわれるようになったのはいつからか。企業の海外進出が一段落し、経済を考えるときに、日本だけでは意味がなくなってきてからのような気がする。
誰もが世界を旅するようになり、プロ野球も国内のニュースより大リーグの日本選手の活躍を先に報道するようになった。日本というくくりが、企業にとっても普通のひとびとにとってもこれまでとは違うものになってきたように思える。
そこで地域社会に関心が向かいはじめた。プロ野球も地域社会を重視しはじめた。県知事の発言が注目されるようになった。明治以来の中央官庁による地方の管理に対して、違う方向が模索されている。
前置きが長くなった。結論を急ぐと、地域社会の最小単位は、組織としては町会のようだ。では、町会が地域社会なのか。その辺のことを考えてみたい。