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東大駒場キャンパス周辺・渋谷WESTの地域情報を紹介


by mtejima1
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 たばこと塩の博物館が渋谷区役所のそばにある。たばこと塩と何の関係があるのかということになるが、昔はこの2つが重要な商品で、1905年明治政府はこれらを専売することにした。そのなごりが博物館として残っている。
http://www.jti.co.jp/Culture/museum/WelcomeJ.html

 入って見るとなかなか内容が豊富だ。塩の製法の解説や岩塩の実物が展示されている。たばこの歴史もよくわかる。素直に楽しめる内容だ。入館料は100円なのだが、まちを歩く人の割に入館者は少ないから、ついでの機会にでも立ち寄られることをお勧めする。

 ちなみに10月24日までは「浮世絵と写真でたどる明治ニッポン」という企画展を開催している。明治維新から日露戦争までの時代の空気が伝わる。明治時代が江戸時代とつながっていることが実感できた。その時代から100年たった現在がどういう時代なのか、あらためて考えさせられるひとときだった。
# by mtejima1 | 2004-09-20 11:09
 昭和32年発行の東京西南部5万分の1地形図がある。定価30円。そのほんの一部である5センチ四方の部分だけでも、濃縮された50年の歴史を読み取ることができる。現在のまちの光景の後ろにあるものが見えてくる。

 まず渋谷駅。山手線、東横線、井の頭線、地下鉄銀座線のターミナルであった。ただし、今や痕跡をとどめない都電が上通り(宮益坂)、中通(明治通り)から駅前広場に入り、玉電が道玄坂から駅前広場に達していた。玉電は渋谷の駅から現在マークシティのあるところが、電車専用の道になっていて、坂を上がって道玄坂上からバス通りに合流した。地図にはないが、道玄坂を上がったところに玉電の最初の停留所(安全地帯)があった。上通り4丁目はバス停だけの名前だったか記憶は定かでない。

 現在の首都高速の下を走る広い道路はその地図では影もなく、一帯は住宅地となっている。

 駅の北側を見ると、現在の電力館の位置に区役所がある。その北一帯はワシントンハイツだ。つまり米軍施設である。またその下に塀で囲われた土地がある。空襲のあった陸軍刑務所の跡で当時は未利用地だったのだろうか。

 ワシントンハイツから川を隔てた西南が松涛町、その西が駒場町となっている。その境となる山手通りは現在の旧山手通りで、新しい道路は住宅と荒地を買収してその後に拓かれた。

 駒場町は西隣の世田谷区が住宅が密集しているようになっているのと比べるとほとんど真っ白だ。現在の状態を見るとうそのようでもある。

 井の頭線は東大前と駒場の2つの駅がある。東大前の駅は商店街から階段をあがった踏み切りのところにあった。駒場駅は駒場野公園の踏み切りのところだ。今の駒場東大前の駅の前後にある2つの踏み切りが、それぞれの駅の入り口だったのだ。

 50年といえば大変な年月だ。その間に数多くの変化が起き、昔のことは記憶から消されてしまう。インターネット上のどこかに昔がわかる場所が出てくるといいのだが。
# by mtejima1 | 2004-09-17 11:41
 おとなはまちを歩かない。まちを歩くのは若者だ。渋谷は10代のまち。そんなイメージがある。おとなは事務所で働き、夜のまちを徘徊して自宅に帰る。休日はまちに出ないでスポーツをする。そんな時代が50年近くつづいたのではないかと思う。

 その昔、銀座や浅草でおとなたちが遊んだ。ぶらぶらと店をのぞいたり、寄席や映画館で楽しんでたのだろう。その世代はそろそろ歴史上の人物になりはじめている。東京でおとながまちに出なくなったのは、テレビ、組織優先、それとも遠い住宅のせいなのか。

 そこで少子高齢社会である。まちは高齢者にこそ魅力あるものでなくてはならなくなる。どんなまちが望まれるだろうか。

 まず緑がほしい。車が多いのはいやだ。できれば雑踏もさけたい。交通の便もよくて、歩き回らなくてもすむのがいい。図書館、美術館、映画館、コンサートホールがあって、手ごろな値段でゆっくりと飲食のできる店が必要だ。なんといっても大人の気品を感じさせる雰囲気がいい。住むのにもいいが、宿泊施設があってそこで数日ゆっくり過ごすのもいい。

 そんなまちが東京にあっていい。六本木ヒルズや汐留のような砦のように開発された場所とは違うまち。表参道や代官山がいちばん近いのかもしれないが、すでに若者があふれている。おとなだけのまちが松涛から駒場にかけてできていい。その条件はすでにかなり満たされているのだから。
# by mtejima1 | 2004-09-16 20:54
 明治通りの下を工事中の地下鉄13号線が2007年に開通し、2012年に東横線との相互乗り入れが実現する。それに伴い、渋谷駅周辺でビルの新築、改築が行われる。駅前広場の歩道橋も整備されるようだ。

 この大プロジェクトの実施にあたり、渋谷駅周辺地区まちづくり協議会が発足した。NPOで理事長が志村清一さん、安藤忠雄さんがアドバイザーで、渋谷区がオブザーバーとなっている。その第一ステップと位置付けられそうな講演会が開催された。講師は安藤忠雄さん。大阪での提案が入れられなかった話などを中心に、人間の生活を考えた建築のあり方に話が及んだ。

 渋谷の駅前周辺は商業ビルばかりで、高齢者が近寄れないような場所になっている、ということであるが、どのようなまちを提案するかについてはあえて避けていた。

 桑原区長も挨拶をし、行政が主体なのではなく、地域に生活し、働く人たちが主体的に考えるまちづくりにしたいという点で、安藤忠雄さんもその点を強調した。

 とはいえ、渋谷駅周辺に住民がいるわけではなく、行政と地権者主体のまちづくりにならざるを得ないだろう。

 安藤忠雄さんから景観重視の発言があったことで、これまでの都市開発とは違ったものになることを期待したい。
# by mtejima1 | 2004-09-14 22:29

区境(9月13日)

 自治体の境界はどのようにして決められたのだろうか。奈良時代の境界線が今も生きているところもあるだろう。1000年以上の歴史が現在の境界線にあるかと思うと興味深い。すべての境界線にそれぞれの物語が秘められているはずだ。

 さて、旧山手通りに沿って目黒区と渋谷区の境界線がある。山手通りの目黒区側が渋谷区になっているところがいくつかあり、違和感をもっていたのだが、道路ができる前に境界線があったとのだからあたりまえのことなのだ。よく見ると一番高いところが区界になっている。渋谷村とができたときの境界線なのか。ちょうど尾根の稜線が境となっている。道などなかったのだろう。

 ところが今になってみると、山手通りの目黒区側に松涛2丁目とか神泉町とかがあるのは不自然に見える。隣に住んでいても通う学校は違うこともあるのだろう。100年前の境界に現在もしばられなくてはいけないのかとも思う。

 境界を変える必要があるほどの問題ではないかもしれないが。
# by mtejima1 | 2004-09-13 18:28