東大駒場キャンパス周辺・渋谷WESTの地域情報を紹介


by mtejima1
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駒場はなぜ目黒区か(12月2日)

以前にも書いたが、駒場が目黒区と思っていない人が多い。世田谷区か渋谷区と思っていたという声をよく聞く。駒場が目黒区というと驚嘆の声を上げる人も少なくない。うそでしょお!というわけだ。
駒場に行くには渋谷区と世田谷区、杉並区を走る井の頭線か、渋谷区と世田谷区をつなぐ淡島通りを走るのバスを使うわけだから、目黒区という意識が乏しいのは当然のことだ。玉川通りの北は、現在の道路事情からすると渋谷区か世田谷区の方が自然なのかもしれない。今日もなんで駒場が目黒区なのか、という質問があったので以下のように答えた。
江戸時代、現在の目黒区の区域は目黒六か村と呼ばれ、その一つの上目黒村は幕領(天領)で、駒場は上目黒村に属していた。上目黒村の鎮守は大橋の氷川神社。上目黒村のコミュニティはその神社を中心にしてあった。世田谷村と上目黒村は同じ荏原郡ではあったが、世田谷村とは江戸時代から目黒六か村とは一線を画するものがあったのだろう。
これに対し渋谷区と目黒区の境界は武蔵野国荏原郡と豊島郡との境界となる。この境界の歴史は平安時代初期の797年に編纂された続日本紀にまでさかのぼるわけだから1200年以上の歴史があるわけだ。
現在の住民からすればそんなことはどうでもよいことだろう。でも区界の歴史に思いを馳せるのもロマンがあってよいではないか。
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by mtejima1 | 2007-12-02 20:02 | 駒場