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by mtejima1
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道玄坂の富士講と江戸しぐさ(11月21日)

道玄坂の百軒店商店街がある丘には、江戸時代は富士山を信仰する集団富士講の江戸最大の講中、山吉講の代々の講元吉田家があった。正保年間(1644-48年)に富士山頂の金明水を発見してから、山吉講を御水講と呼ぶようになっていた。江戸に散在する御水講直属の枝講は、年中行事の登山の途中に必ず道玄坂の講元を訪れ、「立拝」と称する祈願ののちに出発した。また、御縁年という12年目ごとの申年の登山には江戸府内全部の御水講が道玄坂に集合して富士に詣でるしきたりがあった。江戸時代の道玄坂は、富士講の講元があることによって広く知られていたという。吉田家は道玄坂一帯に広い土地を持ち、茶園も経営していたが、明治の中ごろ、大分県竹田市の岡城主、明治維新で伯爵となった中川家が現在の百軒店のある土地を吉田家から譲り受け邸宅を構えたが、吉田家は終戦まで山吉講の講元であったとされている。今から60年以上も前のことだ。
前置きが長くなったが、江戸時代の講について、現在「江戸の良さを見直す会」の講元(世話役)をされている方からお話をうかがったので、かつて道玄坂にあった講についての記述を紹介してみた。
「江戸の良さを見直す会」とは1965年に故芝三光氏が「江戸講」を惜しみ、非公開の「講」を公開しようとの趣旨で結成されたものである。マナーとしての「江戸しぐさ」は、公共広告機構の広告などで知られるようになっているが、講の運営方法など、もっと社会的なものがあるようだ。
手元にある「江戸の良さを見直す会」の講元の著書から、その内容をこのブログで少しづる取り上げてみることにする。あだ名で呼び合い、年齢、肩書き、学歴、家柄などのこだわりをなくして交流する講の精神は、ブログへのコメントのやりとりに通ずるものがあるのかも知れない。
富士講の伝統のあるこの地域で、何年か後に新しい講が誕生することになればとも思っているのだ。
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by mtejima1 | 2007-11-21 19:00 | 江戸しぐさ