渋谷の歴史と今後(3月19日)
2006年 03月 19日
幕末・明治の東京の歴史の中で、渋谷は江戸・東京の辺境の村にすぎなかった。明治18年に山手線の渋谷駅ができ、そこを起点として、明治40年に玉川線、昭和2年に東横線、8年に帝都線(井の頭線)が開通。昭和9年には東横百貨店が開店し、13年に浅草と渋谷を結ぶ東京で最初の地下鉄が完成した。こうしてたまたま交通の要地となった渋谷は、郊外に広がっていく東京の副都心のひとつとしての地位を獲得した。しかし銀座や浅草と比較するような街ではなかった。
その後、昭和20年5月の空襲で渋谷の街は焼け、戦後その焼け跡は闇市となった。
そして昭和30年代には新宿、池袋とともに、東京の西側の住宅地と都心を結ぶ3大ターミナルの一つとして発達したのだ。
昭和42年の東急本店の開店に続き、翌43年には西武百貨店が出店し、48年のNHK放送センターの移転により、公園通り方面が若者の街として注目されるようになる。
昭和54年(1979年)には、若者の街渋谷を決定的にするファッションビル109が、道玄坂と東急本店への道の分岐点に開店し、現在も渋谷のランドマークとなっている。
こうして若者に人気のある街として、流行の発信地として渋谷が全国的に知られるようになっていった。東京の外だったといってもよい村が、いつのまにか東京のイメージを伝えるまちになってしまったのだ。
過去30年もの間、若者の間では渋谷は東京の顔だったといってもよいだろう。しかしいつまでもそうした活気ある街であり続けることができるのだろうか。
既に大人が買い物をする街として、渋谷に魅力は感じにくい。銀座、日本橋、あるいは下北沢、吉祥寺の方に人が集まるかもしれない。
渋谷が過去30年の延長上にこれからもあるとは考えにくい。渋谷への人の流れを止めることになる動きがあちこちにあり、若者の行動など簡単に変わるのだから。