バス停東大前(1月6日)
2006年 01月 06日
それはともかく、このバス停が何故東大前なのか。次のバス停東大裏は東大の裏門前だから、これは誰にも理解できる。しかし東大前のバス停から東大がどこにあるのかは分からない。
そしてここからは空想だ。渋谷駅から幡ヶ谷折返所を結ぶバスは、1930年(昭和5年)に航空研究所ができたときに運行を始めたのではないか。渋谷駅、京王線の幡ヶ谷駅から、航空研を結ぶバスが必要だったのではないか。
一高は1935年(昭和10年)に本郷から移ってきたのだが、その前から駒場キャンパスは農科大学として存在していた。渋谷から現在の文化村通、栄通を上って旧山手通りにぶつかったところが当時駒場キャンパスの正面入り口だった。旧山手通りの駒場側にある2本のブロックの柱は、当時の門柱だったのだろう。バス停の名前は最初は農科大学前、次に一高前、そして1949年に東大前になったのではないだろうか。
それから56年がたっている。駒場キャンパスは、ここの門の跡から200メートル余り奥になり、見通しは全くない。それどころか、ここからは少なくとも車では入れない。
停留所の名前が現実にそぐわなくなってから半世紀たった今も放置されている。別に誰も困るわけではない。どうでもよいことなのだが書いてみた。そして、昔を知っている人に聞いてみよう。