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東大駒場キャンパス周辺・渋谷WESTの地域情報を紹介


by mtejima1
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50年前の地図(9月17日)

 昭和32年発行の東京西南部5万分の1地形図がある。定価30円。そのほんの一部である5センチ四方の部分だけでも、濃縮された50年の歴史を読み取ることができる。現在のまちの光景の後ろにあるものが見えてくる。

 まず渋谷駅。山手線、東横線、井の頭線、地下鉄銀座線のターミナルであった。ただし、今や痕跡をとどめない都電が上通り(宮益坂)、中通(明治通り)から駅前広場に入り、玉電が道玄坂から駅前広場に達していた。玉電は渋谷の駅から現在マークシティのあるところが、電車専用の道になっていて、坂を上がって道玄坂上からバス通りに合流した。地図にはないが、道玄坂を上がったところに玉電の最初の停留所(安全地帯)があった。上通り4丁目はバス停だけの名前だったか記憶は定かでない。

 現在の首都高速の下を走る広い道路はその地図では影もなく、一帯は住宅地となっている。

 駅の北側を見ると、現在の電力館の位置に区役所がある。その北一帯はワシントンハイツだ。つまり米軍施設である。またその下に塀で囲われた土地がある。空襲のあった陸軍刑務所の跡で当時は未利用地だったのだろうか。

 ワシントンハイツから川を隔てた西南が松涛町、その西が駒場町となっている。その境となる山手通りは現在の旧山手通りで、新しい道路は住宅と荒地を買収してその後に拓かれた。

 駒場町は西隣の世田谷区が住宅が密集しているようになっているのと比べるとほとんど真っ白だ。現在の状態を見るとうそのようでもある。

 井の頭線は東大前と駒場の2つの駅がある。東大前の駅は商店街から階段をあがった踏み切りのところにあった。駒場駅は駒場野公園の踏み切りのところだ。今の駒場東大前の駅の前後にある2つの踏み切りが、それぞれの駅の入り口だったのだ。

 50年といえば大変な年月だ。その間に数多くの変化が起き、昔のことは記憶から消されてしまう。インターネット上のどこかに昔がわかる場所が出てくるといいのだが。
by mtejima1 | 2004-09-17 11:41