神戸女学院大学の
内田樹先生が港町が都市であるとの考察をされている。
排除的な境界線が効果的に機能しないために、「入ろうと思えば、どこからでも入れる」こと、「ハーバーライト」が存在すること、そして「異族」が住みつくことの3点を港町の条件としてあげられている。もちろん港町とは比ゆ的なことばであって、海辺の町である必要はない。そうして「東京は港町ではない」ということになる。
「そんなことはない!」という声が東京のあちこちから上がりそうだ。東京は無数といってよいほどの町の集合体で、その一つ一つの町のことは分からない。東京のあちこちの町を渡り歩いている限り、港町としての東京の姿は見えないだろうが、個々の町の営みにおいて、内田先生のいわれる港町はあると思う。その街の灯りを絶やさないために黙々と「センチネル」をつとめる人は「東京」にはいないだろうが、東京のそれぞれの町でそれを自認する人はいくらでもいるだろう。ただ、東京の町として銀座、渋谷、六本木がイメージされるならば、「港町」の条件に合わないことで同感だ。
駒場には毎年3000人の大学生がキャンパスにやってくるほか、400人近くの留学生が留学生会館に住んでいる。先端科学技術センターを含む駒場キャンパスを訪れる「異族」の数は住民の数をしのぐ。ただこの町は大型船の港ではあっても船の中から乗員が降りてこない港といえないだろうか。
一方で、大学とは関係のないところにいくつかのハーバーライトが出来てきているように思う。キャンパスの関係者がこの一帯に住みつき、そういうところで交流をするようになれば、駒場もりっぱな港町となることができるだろう。